京都オープリー



毎年冬に行われる、京都を拠点に活動する、カントリー、ブルーグラス、カントリーロック、コンテンポラリーカントリー、オールドタイムのバンドが集結するコンサート。


            ACCコンサート(京都オープリーの原点)
昭和31年(1956)4月21日、大阪でAFMS(アメリカ民謡研究会)として産声をあげる。
有田達男さん、伊集院博さんなどの尽力により創設されました。
後に京都にも支部が出来、ドン佐野さん、采野弘和さんなどが主要メンバーとなり、最初はレコード鑑賞を主に、後に「イーストマウンテンボーイズ」の生演奏も毎月第3土曜日、烏丸三条西入ルのアメリカ文化センターの二階講堂で開かれるようになりました。

1960年に、テネシーシャンティボーイズ、マジカルプレイボーイズ、ダーク・ブルーワゴンス、永冨研二とテネシーファイブも参加、当時としては珍しい生演奏のコンサ
ートが評判になり、軽音楽に興味のある若者達が続々と詰めかけ、オーディションを受けて出場するようになり、昭和45年(1970)頃まで開催されました。
ACCコンサートのACCとは、American Culture Centerの頭文字を取ってつけられました。
当時、米国のアイゼンハワー大統領の極東政策により、日本のあちこちにアメリカ文化センターが設立され、京都では烏丸三条西入ルのレンガ造りの2階建てビルに、図書館とOfficeがあり、その2階がホールになっていて、約150人程度の鉄製のイスがありました。マイクは1本、オーディオ用のスピーカーが2個、調律のあやしいアップライトピアノが一台、真っ白な壁がバックにあり、蛍光燈の照明だけというシンプルなホールでした。
しかし、回を重ねるごとに人が集まり、毎月第3土曜日の夜は熱気に包まれていました。
ホールに入り切れない人達が階段まで溢れ、大使館から、キケンだからと注意されたことも毎々ありました。
やがて、ベトナム戦争がはじまり、ケネディ大統領の就任の頃から、財政難を理由に、10年余り続いたACCコンサートも、終局を迎えました。

100回を越える毎月第三土曜日のACCコンサートは、京都のみならず日本のカントリー、ブルーグラス、フォークミュージックに多大な影響を及ぼし、多くの音楽ファンの心に焼きついて、今も息づいていることは確かだと言えるでしょう。

京都のACCコンサートの隆盛は、ドン佐野、本田公一郎、永冨研二、木村実、大槻隆彦の歴代の会長のもと、各グループのリーダー、出演者、多くのファン、ACCの武部さんらみんなのチームワークがもたらしたものと確信すると同時に、現在も京都がカントリーミュージック、ブルーグラスミュージック、フォークミュージックをこよなく愛する人が最も多く住む町となっていることは、このACCコンサートの存在が大きな要因ではないでしょうか。

京都のカントリー2大イベント、冬の「京都オープリー」、秋の「カントリードリーム」は、その歴史と、音楽を愛する友を思いやる温かい気持ちと、和の精神を大切に守り、市民の皆様と共に歩むイベントとして、永久に受け継がれていくことと思います。

ACCコンサートに出演したグループは、
East Mt. Boys, Tennessee Shanty Boys, Tennessee Five, Magical Play Boys Dark Blue Wagons, Sunny Mt. Boys, Nashville Five, CountryCapers
Six Gentlemen, Domestic Cowboys, Texas Dandies, Texas Wagon Boys Troubadors, Love Bugs, Blue Ridge Mt. Boys, Saboten Sounds
Lonesome Cowboys, Bonns, Sinner Joe's, Myshi Plowboys, Country Favorites Tennessee Two, DudyRamblers, Mary's Rock Mounteniers, Gritty Gleemen
Folk Crusaders etc.
                                                                2011. 永冨研二 記